シューゲイズ・バンドは、目を伏せて、観客のほうを見ずに、足元の、靴先で踏むペダルだけを見つめている。ドリーム・ポップの作家は、ベッドルームで目をつむって、恍惚とした表情で夢を見ている。目の前の現実は見ない。なぜなら、そこには私を傷つける他人ばかりがいて、理解のできないものが広がっているから。私は、傷つきたくない。
シューゲイズとドリーム・ポップは――あるいは、もっと広くとって、ロックやダンス・ミュージックもそうだろう――、そういったひとびとにとっての、「嵐からの隠れ家」として長いあいだ機能してきた。それは音楽家にとっても、オーディエンス、リスナーにとっても。
For Tracy Hydeはどうだろう? 彼らは、聴き手にシェルターを提供してきたバンドかもしれない。彼らの音楽を聴いているあいだだけに見られる夢を、見せてくれていたバンドかもしれない。バンド・メンバー本人たちの意識はどうあれ、もちろん、そういう側面はあっただろう。
けれども、今回の新作『Ethernity』は、どうも様子がちがう。音も、言葉も、ちがっている。もちろん、For Tracy Hydeは常に現実を写しとってきたバンドだった。しかし、ここではさらに前へと進んで、アクチュアルかつリアルなテーマを自身の音楽に落としこんでいる。新しい音楽的な語彙とともに。
テーマは、「アメリカ」。映画や音楽、キャンディのように甘い夢=ポップ・カルチャーを極東の国に教えてくれた国、「アメリカ」。処方薬をオーバードーズしたひとびとが、暗い精神世界をさまよっている国、「アメリカ」。人種間の軋轢が生んだ、激しく燃え盛る炎に包まれた激動の国、「アメリカ」。インターネットに蔓延した陰謀論を信じるひとびとが、民主主義を壊そうと企てた国、「アメリカ」。
4作めにして圧倒的な新境地、そして最高傑作と言っていいアルバムを生んだ夏botに、『Ethernity』について聞いた。
取材・文/天野 龍太郎
――For Tracy Hydeは毎作、最高傑作を更新していますね。
夏bot:そうだといいのですが。ギターのU-1は「今作が一番いい」と言い切っていますが、不安はあったんです。曲によっては音楽性が変化していますし、意図したわけではないのですが自分が歌う曲が増え、ジャケ写が初の男性モデルになりました。色々な変化があったので、今までの3作の延長のような作品を期待されている方は「裏切られた」と感じてしまうのではないか、という不安がありますね。
――前3作を三部作として区切って、今作からモード・チェンジをする意識があったんでしょうか?
夏bot:明確に意図したわけではないんですけど、その意識がなくはなかったのかなと。たとえば、僕の好きな作家である恩田陸さんの最初の3冊は「青春三部作」と言われていて、それが脳に強く刻まれているので。「青春三部作」というキーワードが頭の中にあって、前3作からは距離を置いて4作めをつくる意識はあったかもしれません。
――今回は、コンセプトの根幹に「アメリカ」がありますよね。前作『New Young City』についてのインタビューでは、幼少期にアメリカに住んでいたことをお話しされていました。夏botさんの中で、改めて「アメリカ」が浮上した理由は?
夏bot:アメリカには生まれてすぐに渡って、7歳まで暮らしました。その頃の記憶は、明確にあるわけではないんです。覚えていることは、基本的にいいことばかりで。アジア人が多いシアトルで暮らしていたので、人種差別を受けた記憶もないですし。
――今、ちょうど“Stop Asian Hate”の運動が大きなうねりになっていますね。
夏bot:すごいことになっていますよね。でも、当時の僕には友達もそれなりにいて、休み時間にはみんなで外で遊んだり、パソコンでゲームをしたりと、そういう普通の生活を送っていたんです。
なので、今のアメリカの状況にはびっくりします。実態はこんなものだったのかという衝撃がすごく大きくて。なんだか、隔世の感があるというか。(ドナルド・)トランプに関係した問題もそうですし、人種差別の問題もそうです。それと、アメリカでは、以前から精神医療や銃暴力の問題が社会全体に広がっていました。
ただ、その一方で、自分が好きなポップ・カルチャーもアメリカから生まれている。アメリカは文化的にも経済的にも政治的にも、すごく重要な存在であるというのは変わりがないんですね。なので、自分の記憶の中の美化されたアメリカ、ポジティブなイメージのアメリカと、アメリカが抱える闇のギャップを表現したい、というのが今作のコンセプトのひとつとしてあります。
あとは、リモート・ワークになってから最初の数か月は時間があったので、ずっと見ようと思っていた『ツイン・ピークス』を、ようやく重い腰を上げて、ドラマ全話と映画を見終えたんです。どハマりしましたね。
――1曲めの「Dream Baby Dream (Theme for Ethernity)」が、思いっきり『ツイン・ピークス』のオープニング・テーマ・ソング(「Twin Peaks Theme」)だなと思いました(笑)。
夏bot:そうなんですよ。あの作品も青春的な要素がある一方で、すごく暗い作品で。
――話数を重ねるごとに、どんどん狂っていきますよね。
夏bot:それこそ性だったり、ドラッグだったり、精神病だったり、暴力だったり。そういうものが「アメリカの村社会」と結び付いていることがよく表れています。
『ツイン・ピークス』は、全体としてはシュールな空気感ですけど、現実に根差している点が魅力的だと思いました。そういうシュールな浮世離れした夢と現実との狭間にあるような空気感を、今回のアルバムでは目指しています。
――僕はポップ・カルチャーを通してしかアメリカのことを知りませんが、とにかく分裂していて、ユートピア的な側面とダーク・サイドがはっきりと別れながらも共存している国だと思っています。
夏bot:二面性がありますよね。
――そういうアメリカに対する愛憎は、実際に住んでいた経験のある夏botさんにとって深いのではないかなと思うんです。
夏bot:僕は、物心がつくかつかないかの頃から、日本人にもアメリカ人にもなれない、という感覚が根深くあるんです。児童心理学の世界においては、7歳の時にいた国がその子どものアイデンティティとして固まるらしいのですが、僕はちょうど7歳でアメリカから日本へ移住した。なので、どっちつかずなんです。
たとえば、僕は有名になることに対する執着がすごくあって、「有名になって自己顕示欲を満たしたい」という承認欲求を常に持っています。変な話、僕、子どもの頃は海軍か空軍に入って、戦場で活躍して、大統領になる夢があったんですよね。
――めちゃくちゃアメリカンな(笑)!
夏bot:でも、日本で生まれて、日本人の両親のもとで育てられた僕が大統領になれないっていうのはわかっていて。その気質はすごくアメリカ的だなと思う一方で、ただやっぱりアメリカ人ほど主張が強くはない。そういう、成功を通してアメリカ社会に適合していくことへの諦めもあったんですよ。
その後、大学と大学院でジェンダーや人種と社会の関係について、社会学の勉強したんです。そこで、たとえば「ガラスの天井」という概念があるように、自分が子どもの頃に漠然と感じていたアメリカ社会への溶け込めなさにはちゃんと根拠があったんだ、ということがわかって。
――差別が社会構造に実際に組み込まれている、ということですよね。昨年は、ブラック・ライヴズ・マター運動との関連で、「構造的な人種差別(systemic racism)」という言葉が知られるようになりました。
夏bot:そう。それはリアルな問題として、ずっと僕につきまとっています。なので、アメリカに対する色々な感情が入り交じった複雑な心情は、たしかに一般的な日本人よりは強いのかもしれませんね。
――つまり、アメリカそのものが問題化されているというよりも、夏botさんのアイデンティティの問題としてアメリカと日本という2つの国が関わってきていると。
夏bot:そうですね。
――では、『Ethernity』はそのアイデンティティを表現した作品なのでしょうか?
夏bot:意外と、そうでもないというか……。実体験にフォーカスを絞ってアメリカを描いたわけではないので。ただキーワードとして、社会階層の固定化とか、暴力とか、ドラッグとか、そういったモチーフを散りばめています。そのインスピレーションがどこから来ているのかというと、自分がニュースで見聞きしたものや、ポップ・カルチャーで描かれているものが多いんです。なので、実体験が題材になっているわけではないけれど、自分のフィルターを通して具象化している部分があると思います。
――今回は、さらに「90年代」というテーマもありますね。そこには、90年代を懐かしむ感覚もあるのかなと思いました。
夏bot:そうですね。たとえば、僕がシアトルにいた頃、ちょうどニルヴァーナの『Nevermind』がヒットしていて、スーパーに行くと、毎日のように「Smells Like Teen Spirit」がかかっていたと親から聞きました。
――シアトルという土地柄もあるのでしょうね。
夏bot:お膝元ですからね。なので、あの時代を覚えていないなりに想像して描こうとはしました。
――『Ethernity』について特にお聞きしたかったのは、政治的なテーマについてです。「Interdependence Day (Part II)」では、バラク・オバマ元大統領の演説が引用されていますね。
夏bot:独立記念日の演説ですね。これまでの戦争で祖先たちが血を流してきたことによって今の国がある、でも、今も貧困で苦しんでいる人や家族を養うのもままならない人がいっぱいいて、自分たちはまだ祖先たちが血を流して守ろうとした理想の国に辿り着けていない。だから、我々はまだ頑張らなければいけない――というのが演説の大きなテーマになっています。
オバマの長女は独立記念日の7月4日に生まれているので、最後に彼女の誕生日を祝して終わるんです。長女が独立記念日に生まれているというのが他の大統領にはないオバマの特徴で、つまり、国の歴史と家族のパーソナルな部分がオーバーラップしているんですね。そこがおもしろいなと思っています。
――なるほど。2020年のアメリカは、ブラック・ライヴズ・マター運動の再燃があり、議会襲撃事件があり、確実に異常事態だったと思います。激動の社会や政治に対するどんな思いを作品に込めたのでしょうか?
夏bot:自分がアメリカにいた頃は、意識がないなりに、人種的マイノリティだったはずなんです。なので、単純に、今の世の中がすごく怖いなっていう気持ちがすごくあります。小学生並みの感想なんですけど。
それと、日本社会では、芸術家ってノンポリであることをすごく求められるじゃないですか。作品や表現の場に思想信条を持ち込むことを忌避する傾向があると思うんです。特にシューゲイズやドリーム・ポップのシーンでは、現実世界と創作物を切り離すことが求められます。
――逃避的な音楽とされていますね。
夏bot:でも、こういう時代なので、現実逃避ばかりしてもいられない。誰かがそこに異を唱えないといけないんじゃないかな、と考えていました。なので、今作をつくるにあたっては、現実に根差した表現をしようと。
でも、それは、リベラルかコサバティブか、どちらかの方向に聴き手の政治的な考えを誘導するものではないんですね。ただ、現実から目を背けないで、今の世の中ではこういうことが起こっていて、そのことについて考えなきゃいけない、ということを伝えたかった。メッセージというほど具体的ではないんですけど、そういうことを考えながらつくっていましたね。
今までの3作品も、自分の中では現実逃避的だとは思っていません。モチーフは現実的ですし、自分たちの音楽はあくまでもリスナーの日常に寄り添うものとしてあってほしい、という気持ちがありました。それは今作でもやっぱり変わらなくて、今回は、たまたまその根底にある大きなテーマが「青春」ではなくて「アメリカ社会」になったという、ただそれだけのことなのかなと考えています。
――夏botさんはシューゲイズやドリーム・ポップのシーンに対して、そんなに現実逃避的でいいのか、と疑問を感じていた?
夏bot:憤りがあるわけじゃないんです。そういうものとして受け止めつつも、でも、やっぱり、みんながみんなそうなのはおかしいんじゃないかなって。もうちょっとちがう意識を持ったバンドがいてもいいんじゃないか、っていうことは思っていました。
たとえば、僕がすごく好きなザ・ヴェルト(The Veldt)は黒人2人を中心にしたシューゲイズ・バンドで、ソウルやR&Bとシューゲイズを融合させているんですね。歌詞には、社会主義やフェミニズムといった政治的なモチーフが多いんです。最近だと、ナッシングのように個人の苦悩やドラッグの問題をリアルに歌う、ハードコア出身でシューゲイズを演奏するバンドもいます。
なのに、日本には現実的な感情を扱うバンドがぜんぜんいないのは、どういうわけなんだろうなって。その意味でも、こういう作品をシーンに問うことには、それなりに意義があるんじゃないかなと感じています。
――それこそ、今思えば、ニルヴァーナはメンタル・ヘルスの問題などがテーマに潜んでいたバンドだと思います。90年代のグランジやメタルは、暗さや闇、鬱屈とした感情を表現していて、現在のロックが取り戻すべきものがそこにあるようにも思います。
夏bot:ロックがリアルな音楽でなくなってきていることは、世間でも言われていますよね。それこそ、エモ・ラップなどのヒップホップが本当にリアルな音楽になりつつある。今の時代にロック・バンドに何ができるのかを改めて問い直すとか、今できる表現がなんなのかを考える必要はあるのかなと思います。
――リアルなもの、アクチュアルなものに向き合った一方で、ポップ・カルチャー大国としてのアメリカを表現するうえで参考にした作品はありますか?
夏bot:明確にこれというのはなくて、どうしても「印象のサンプル」的になってしまうのですが。ただ、アメリカの青春映画はすごく好きですね。ジョン・ヒューズの作品群とか。コロナ禍で家にいる間、アメリカの青春映画のDVDを色々と買い込みました。
特に、『エンパイア・レコード』は好きですね。『はじまりのうた』とか、ああいった音楽の力を盲目的に信じている映画がずっと好きなんですよね。「世の中、どうにもならないことがいっぱいあるけれど、音楽の力で生き抜くぜ!」みたいな(笑)。やっぱり、ミュージシャンとしては音楽の力でなんとかなってほしい。そういう、夢のようなものがどうしても捨てきれないので。たとえば、6曲めの「Radio Days」は、そういうことを表現しようとしていたかもしれないですね。
――それと、今回は音楽的な変化も重要です。特に、7曲めの「Desert Bloom」からの流れに驚きました。変化には理由があったんですか?
夏bot:いちばんの理由としては、前作についてのAmazonのカスタマー・レビューで、「この人たち、いつもやっていることが変わらないね。決して期待を裏切らないから、おもしろくない」みたいなことを書かれて。
――(笑)。
夏bot:僕は正直、それはぜんぜん納得がいかない。前作と前々作がどうちがうかは、いくらでも論理的に説明ができる。
けど、一方で、書かれていることはわからないでもない。そういうマンネリズムを避けるために、そろそろ抜本的にぜんぜんちがうことをしないといけないんじゃないかな、という意識があって。過去の3作といかに距離を置くかを考えた時に、「Desert Bloom」や「Chewing Gum USA」のような極端な曲が必要になったんですね。制作の初期は、何をやったら今までのリスナーがいちばん驚くのかを念頭に置いて、ジャンルを列挙して、それぞれのジャンルに当てはまる楽曲をつくっていくこともしました。
――では、「Desert Bloom」のテーマは「オルタナティヴ・ロック」や「グランジ」でしょうか?
夏bot:「ソニック・ユース」ですね。ソニック・ユース的な要素は今までの楽曲になかったので、For Tracy Hydeがソニック・ユースをやったら驚くかなって(笑)。単純にそれだけです。
――歌詞には「カリフォルニア」が登場しますね。
夏bot:車で中西部から西海岸へ向かって、砂漠から旅立っていくぜっていう、それだけの詞なんです。この曲の歌詞は、メンバーからの評判が悪くて。中身がスカスカだし、中二病くさい言い回しが多すぎてイラッとすると(笑)。
でも、それもアメリカ的じゃないですか。空虚だけど、明るいという。
――『イージー・ライダー』的なロック観ですね。ただ、“America’s favorite daughter”というフレーズは意味深に感じました。
夏bot:それは、別に何か元ネタがあるとかではないんですけれど。アメリカって、ミスコンの本場じゃないですか。
――女性を性的にランクづけして消費する、という。
夏bot:そうですね。あと、『ツイン・ピークス』では、ローラ・パーマーが「街いちばんの愛娘」と呼ばれていたりとか。そういう、女性のモノ化や性的搾取への意識が、なくはないですね。
――最後の“Rock ’n roll is here to stay”は? ニール・ヤングの「Hey Hey, My My (Into the Black)」にもあるフレーズですよね。
夏bot:それは、ビッグ・スターの「Thirteen」からの引用ですね。好きな音楽の一節を引用することで、元ネタ探しを楽しめるようにしたかったというのと、あとはやっぱりアメリカってロックンロールの本場ですし。
ロック・ミュージックって、ずっと「死ぬ」と言われつつも、なんだかんだで死なずにここまできている。なので、これからもロックンロールは音楽として生き残っていくんじゃないかなって期待も込めて、あのフレーズを入れました。
――「Desert Bloom」の主人公が向かうカリフォルニアは、理想的なアメリカやアメリカの楽観性の象徴なんでしょうか?
夏bot:そうですね。僕はザ・ビーチ・ボーイズが大好きなんです。彼らの楽曲では、初期から後期に至るまで、一貫して「カリフォリニアは女の子がかわいくて、サーフィンが楽しくて、気候も最高で、地上の楽園だ」と描かれている。歴史的にもヒッピーの聖地で、リベラルな気質の土地ですよね。
僕はいつも、アルバムをつくった後に整合性を見出したり、意味づけを自分の中でしたりするんですね。「今作の曲で、やたらとカリフォルニアに向かうのってどういう意味があるんだろう?」と考えていた時に、19世紀の西部開拓の流れが潜在意識にあったのかな、と感じました。
19世紀のアメリカは、東から西へどんどん国を広げていくんです。マニフェスト・デスティニー、つまり「アメリカの文明や文化を世界に広めることが使命だ」という大義名分のもとで、メキシコと戦争して領土をぶんどったり、フランスと協定を結んでルイジアナを奪ったり。そして、1800年代の半ばにはカリフォルニアでゴールド・ラッシュが起こって、一獲千金を夢見る人たちが大挙して押し寄せて開拓が進む、という流れがあるんです。
それと作中に出てくる西へ向かう若者たちとの何が重なるのかというと、10代の頃って、根拠のない無敵感や、大きな使命があってこの世に生まれて落ちてきたはずだという感覚があるじゃないですか。この先には輝かしい未来しか待っていないんだという、根拠のない自信があると思うんですけど、その一方で、自分の存在への漠然とした不安もかならず抱えている。
つまり、マニフェスト・デスティニーのもとで西部開拓を進める19世紀のアメリカの国としての成長物語と、1990年代の西へ向かう若者たちの人間としての成長物語をだぶらせて考えていたのかなと。これは、完全にあとづけなんですけどね。
――なるほど。サウンドの話題に戻ると、「Chewing Gum USA」のテーマは、やっぱりニルヴァーナでしょうか?
夏bot:グランジをやったらリスナーが驚くだろうな、っていう発想が出発点としてありましたね。当然、明るい歌詞は書けないので、「Welcome to Cookieville」でも触れた郊外で暮らす人たちの行き場のなさや、社会階層の上にも下に行けずに毎日が単純な繰り返しのルーティーンの中で流れていくことを描こうと思いました。
あと、日本で「グランジから影響を受けている」と語るバンドは、ニルヴァーナのサウンドのフォーマットを借りているだけで、あの不協和音すれすれのコード感とかメロディとかを取り入れているバンドがぜんぜんいないなと思っていたんです。そこで、あのコード感とも向き合って、ニルヴァーナ然としたものをちゃんと形にしたらインパクトがあるんじゃないか、と意識してつくりました。
――音づくりに関してはいかがですか?
夏bot:今作の全体についても言えるんですけど、ギターには自分たちでリバーブをかけずに、エンジニアさんに曲のイメージを伝えてリバーブをかけていただく、ということをやっています。この2曲はリファレンスからの影響もあって、リバーブがさっぱりした感じですね。あと、今までのメインの歪みはディストーションだったんですけど、今作は……。
――ファズですか?
夏bot:ファズもそうですが、「Desert Bloom」では強めのオーバードライブをかけています。歪みの種類やトーンを意識的に変えて、楽曲に合った音を追求しました。
――それは感じますね。ドラムの音についてはどうですか?
夏bot:全体的にチューニングは低めですね。
――ヘヴィな感じがしますよね。
夏bot:ミックスでも、ローを強めに出すようにお願いしました。今作で主にインスピレーションを受けたのがアメリカのグリーマー(Gleemer)というバンドで、彼らはエモとシューゲイズのクロスオーバーのような音楽性なんです。グリーマーの、ローがしっかり出たドラムの質感に近づけました。
――「Chewing Gum USA」は、eurekaさんのボーカルに意外性がありますよね。
夏bot:特にディレクションをせずに、本人の自主性に任せた部分が大きいんですけど。今までの楽曲と比べてキーが低いのもあって、声の印象がちがいますよね。あるリスナーが「申し訳ないけど、eurekaの声でこういう曲を歌われると、かっこよさよりもかわいさが際立つ」とツイートしていました(笑)。
――確かに、アニメ声感が逆に強調されているというか。Vtuberがグランジの曲をカバーした、みたいに感じますね(笑)。
夏bot:でも、結果的にそれがおもしろい。ビーバドゥービー(Beabadoobee)とかとも共振する仕上がりじゃないかと思います。
eurekaはこの曲を歌うにあたって、グランジのいろいろな曲を聴いて、低めのキーの男性ボーカルが声を枯らして歌っていないとあの感じにはならない、と思ったらしくて。レコーディングの前日にお酒を大量に飲んで、煙草を吸って、どうにか喉を潰そうとしたらしいんですけど。翌日スタジオに現れた時、まったく声が変わっていなかったんですね(笑)。エンジニアさんに「どうして声が変わってないんですかね?」と聞いたら、「居酒屋で飲んで声が潰れるのは大声で話しているからであって、家で一人でYouTubeを見ながら酒を飲んだって意味ないですよ」と言われてしまって。eurekaは、ただ晩酌をしていただけだった、という(笑)。
――(笑)。
夏bot:そこから試行錯誤して、いろいろな歌い回しを試して辿り着いたのがこの歌い回しです。
――先ほど言及された、「郊外」というキーワードが気になりました。アメリカの郊外って、独特の情緒やイメージがありますよね。夏botさんが住んでいたのは、シアトルの郊外だったのでしょうか?
夏bot:都心というよりは、外れの方だったと思います。僕は、アリゾナに住んでいた時期もあるんですよね。砂漠地帯で隣家がすごく遠い、というような場所でした。そういうものが原風景として心の中にありつつ、かつ、今作では『ツイン・ピークス』のイメージもありましたね。
アメリカをコンセプトにした作品をつくろう、という方向性が固まった時期に、アメリカらしいモチーフをインターネットで集めていたんですね。砂漠の中に突然現れるけばけばしい照明のダイナーとか、ああいうものを撮って回る写真家の作品に触れて、周囲の景観になじまない、空虚な華々しさにすごく惹かれました。
あとは、「Welcome to Cookieville」のモチーフになっている「クッキー・カッター・ネイバーフッド(cookie-cutter neighborhood)」という概念があって。アメリカの郊外にありがちな住宅街のひとつの形式で、同じ形をした建売住宅が何十軒も並んでいる街並みのことですね。
――アメリカ郊外といえば、あれですよね。
夏bot:1950年代頃から最近まで、典型的な街並みだったようですが、景観を損なうとか、没個性的で味気がないとか、町への愛着が湧きづらいとか、国内では批判が多くて、最近は減ってきてるらしいです。評価はネガティブですが、空虚さの中の安らぎというか、どことなく安心感や趣があるので、それを表現したいなと思っていました。
――なるほど。「Cookieville」というのは、あの街並みのことなんですね。
夏bot:そうですね。あれを端的に言い表しています。
アー写の撮影場所は、僕が探したんです。横須賀の湘南国際村といって、通り2、3本、まるっと同じ黄色い三角屋根の家が並んでいるんです。すごい場所ですよ。
――次の曲「City Limits」も、新境地だと感じました。アメリカーナ的なサウンドで、バンジョーを使っていますよね?
夏bot:ええ。使っています。
制作中にスロウコアにハマっていて、レッド・ハウス・ペインターズをよく聴いていたので、彼らの音楽のような曲をつくりたい、というのがまずあって。それと、アメリカといえばカントリーだなと。カントリーとスロウコアは絶対に相性がいいから、うまく掛け合わせることができるんじゃないかなと思いました。カントリーは今までの自分たちにはなかった要素なので、取り入れたらおもしろいものができるはずだと思いましたね。そういう経緯で、スライド・ギターやバンジョーの音を入れて、「City Limits」をつくりました。
――これまでのFor Tracy Hydeの音楽性から、いちばん離れたサウンドだと思いました。
夏bot:そうですね。僕がメイン・ボーカルだし、暗くて枯れた曲なので。隙間があるアコースティックなサウンドも含めて、今までとは対極にある曲かもしれないですね。
この曲に関しては、実は完全に僕が一人で作っていて。バンジョーを持っていなかったので、業者からレンタルして、スタジオで急いで練習して録音しました。バンジョーは金属製のフィンガー・ピックで弾かないとバンジョーの音にならないんですよね。僕はそれを知らなくて、当然ピックも持っていなかったので、しかたなくコインで弾きました。五百円玉から全部試してみて、一円玉がいちばんよかったので、それでがんばって弾いています。
――アメリカーナやフォーク、カントリーで参照した音楽はありますか?
夏bot:もともと、僕はカントリーが苦手で(笑)。基本的に泥臭い音楽がすごく苦手なので、アメリカーナ全般がダメだったんです。でも、今作をつくるにあたって、アメリカ的な音楽とちゃんと向き合う必要があるなと思いました。
Spotifyの「Country Kind of Love」というコンテンポラリーなカントリーのラブ・ソングやラジオ・ポップを集めたプレイリストが聴きやすかったので、それを聴いていましたね。スライド・ギターのフレーズなどは、それを参考に組み立てています。
――最後の「スロウボートのゆくえ」も、すばらしい曲ですよね。Boyishの小柳良平さんによるサックス・ソロとギターのサウンドが泥臭い感じで。アメリカ音楽をやろうとしたローリング・ストーンズや、彼らに憧れたプライマル・スクリームを思い出しました。
夏bot:制作の最後につくった曲ですね。根本的な発想は、今作でアメリカのあらゆる音楽を網羅したわけではないというか、もとになっている音楽にすごく偏りがあるなと思ったので、まだ取り組んでないジャンルは何かなって考えたんです。その時に、ブルースやサザン・ロック、それにゴスペルとトラップだなと。
――それはまた、極端ですね(笑)。たしかに、トラップのビートも入っています。いずれも南部の音楽ですよね。
夏bot:そうです。アメリカ南部音楽を、無理やり一曲にまとめようと。
あと、アルバムを通してひとつのストーリーにしたかったので、ちゃんとそれを回収できる曲をつくりたいなと思って。しかも、明確な終わりじゃなくて、フェイド・アウトして終わっていく、この先も続いていくことを示唆する曲をつくりたいなと。2番のAメロで、2曲めの「Just Like Fireflies」へのアンサーというか、引用がありますが、これが発想の軸になっています。冒頭の曲をちゃんと回収して、ちがうかたちで表現したかったんです。
――「スロウボートのゆくえ」の「大口で僕らを喰らうんだ。」と、「Just Like Fireflies」の「大口で僕らを食らうのかな。」ですね。
夏bot:ええ。同じメロディーでもあります。
「Just Like Fireflies」では、若者が大人になること、モラトリアムが終わることへの不安を歌っているんですけど、「スロウボートのゆくえ」ではもうそこを通り越していて、人生が終わること、いつか死ぬことへの自覚と不安を描いているんです。視点の変化というか、成長した先にあるものを描こう、という意識がありました。
――サックス・ソロを入れたのは、どうしてだったんですか?
夏bot:サックスって、アメリカ南部を象徴する楽器のひとつじゃないですか。ファースト・アルバム(『Film Bleu』)とセカンド(『he(r)at』)にもサックスをフィーチャーした曲はあるんですけど、それらはもっとアーバンで、テンション・ノートがいっぱい入ったような演奏なので、今回の使いかたとはぜんぜんちがいます。もっとシンプルで、泥臭いサックスなら、今までとの対比ができるかなと思ったんですね。
――僕は、アメリカの労働者たちのヒーローであるブルース・スプリングスティーンの音楽を思わせる「スロウボートのゆくえ」でこのアルバムが締めくくられたことに、意味を感じたんですね。トランプが大統領に当選した際、ラスト・ベルトの問題や中西部で貧困化した白人たちが注目されました。スプリングスティーンは、そういう取り残された保守的な白人たちにも、リベラリストたちにも、どんなひとにも寄り添う歌手だと思うんです。なので、アメリカを表現した『Ethernity』を、最後の「スロウボートのゆくえ」が包み込んでいるように感じたんですね。
夏bot:そうですね。最後に何かしらの救いがほしいな、とは思っていました。
アメリカって、すごくバイタリティに満ちあふれた国で、力が有り余っているがゆえに、東西と南北の分裂や、貧困層とリベラルな富裕層の対立が起こっていると思うんです。
僕は仕事でCNNの『ファリード・ザカリアGPS』というニュース番組を見ることが多いんですね。ファリード・ザカリアはインドで育ったひとです。彼がなぜアメリカに来たのかというと、常に混乱の只中にあるけれども、いつもバイタリティに満ちていて、みずからを生まれ変わらせつづけるエネルギーに満ちているところが魅力的に思えたからなんだ、と言っていました。今はこんな状況になっているけれど、アメリカはまた必ず生まれ変わると思うし、自分はアメリカに来たことをまったく悔やんでいない――そう話していたのが、すごく印象に残っていて。
みずからを壊して、また構築しなおして、生まれ変わっていくこと。アメリカのそういうバイタリティを今作でなんとか表現できないものかなと思っていたので、それが少しでも伝わっていたら、うれしいですね。
<ライブ情報>
For Tracy Hyde “Ethernity” Release Tour『Long Promised Road』
<東京>
日程:2021年5月3日(月・祝)
会場:渋谷クラブ・クアトロ
出演: For Tracy Hyde
時間: 開場 17:00 開演18:00
料金: 前売り 3500円 当日 4000円 (ドリンク代別)
チケット: e+
配信: e+ StreamingPlus
イベント詳細はこちら
※社会情勢を鑑みて変更となる可能性がございます。
<大阪>
日程:2021年5月1日(土)
会場:梅田シャングリラ
出演:For Tracy Hyde
時間:開場 17:00 開演18:00
料金:前売り 3000円 当日 3500円 (ドリンク代別)
チケット: e+
配信:大阪会場でのライブ配信、アーカイブは予定されておりません。
イベント詳細はこちら
※社会情勢を鑑みて変更となる可能性がございます。